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決闘罪とは「決闘罪に関する件」という法律に違反した際に適用されます。しかし実際には決闘罪で逮捕される事件はほとんどありません。そのため決闘罪が適用された場合あまりの珍しさに書類送検でもニュースになるほどです。
このページでは決闘罪の概要と制定時期、各条文についての詳細、実際に逮捕されたケースを紹介します。
決闘罪の制定は約130年以上前
決闘は自分の名誉のため、もしくは傷けられたプライドを回復のために裁判や公の権力に頼らずに自らの力で挑む果し合のことです。当事者だけでなく、社会全体に決闘は素晴らしいことだ・勇猛であると称賛されていました。
日本でも決闘は古くからありました。有名なところで言えば1612年の巌流島での宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘、1694年の高田馬場の決闘などがあります。
明治維新から20年が経った1889年当時、それまで続いた古い慣習が抜けず近代国家を目指す足かせになっていました。
しかし当時の日本は明治維新を経て近代国家へと政策を転換していた最中。公権力を確立したものにしたいのに、市民たちが好き勝手に決闘して秩序を乱してはままなりませんでした。
そのため刑法とは別に決闘を禁ずる特別な法律を作ったのです。
それが1889年(明治22年)12月30日に制定された、「決闘罪ニ関スル件」です。
この法律は約130年経った2019年現在まで一度も改正を受けていない非常に珍しい存在です。
明治二十二年法律第三十四号
e-Gov 日本法令索引より
明治二十二年法律第三十四号(決闘罪ニ関スル件)
第一条 決闘ヲ挑ミタル者又ハ其挑ニ応シタル者ハ六月以上二年以下ノ重禁錮ニ処シ十円以上百円以下ノ罰金ヲ附加ス
第二条 決闘ヲ行ヒタル者ハ二年以上五年以下ノ重禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス
第三条 決闘ニ依テ人ヲ殺傷シタル者ハ刑法ノ各本条ニ照シテ処断ス
第四条 決闘ノ立会ヲ為シ又ハ立会ヲ為スコトヲ約シタル者ハ証人介添人等何等ノ名義ヲ以テスルニ拘ラス一月以上一年以下ノ重禁錮ニ処シ五円以上五十円以下ノ罰金ヲ附加ス
○2 情ヲ知テ決闘ノ場所ヲ貸与シ又ハ供用セシメタル者ハ罰前項ニ同シ
第五条 決闘ノ挑ニ応セサルノ故ヲ以テ人ヲ誹毀シタル者ハ刑法ニ照シ誹毀ノ罪ヲ以テ論ス
第六条 前数条ニ記載シタル犯罪刑法ニ照シ其重キモノハ重キニ従テ処断ス
明治時代に制定されたものなので、カタカナ表記です。また、昔に作られた法律なので「決闘罪」のような名前ではなく、「決闘罪に関する件」という題名しかありません。
また、明治時代の法令は全て紙媒体で宣告されていました。その原文画像がこちらになります。
1889年(明治22年)に制定された「決闘罪ニ関スル件」を現在の法律に照らして要約すると、以下のとおりになります。
- 決闘とは、お互いに合意の上で物理的な暴行を行うこと
- 決闘を挑んだ者も受けて立った者も6か月以上2年以下の懲役
- 実際に決闘を行った者は2年以上5年以下の懲役
- 決闘によって人を殺傷した者には殺人罪、傷害罪を適用
- 決闘に立ち会う者、立ち会う約束をした者、決闘のために場所を提供した者には1年以下の懲役
- 決闘に応じないという理由で人を誹謗した者は名誉棄損罪を適用
それぞれを詳しく解説していきます。
決闘に人数や武器の制限はない
そもそも決闘とは、2人の人間が事前に決めた同じ条件下で命を賭けて戦うことを言います。
重要な点はお互いがその条件で戦うことに同意していることです。片方が拒否したり、その場でルールを違反するとそれはもう決闘ではありません。
映画などの影響により決闘=タイマンだと思う人は多いのではないでしょうか?アメリカ西部劇でお互いに背を向けて3歩歩いて振り向きざまに撃つ、どちらかが倒れるまで命をかけて殺し合う…そんなイメージを持つ人が多いでしょう。
しかし、日本の決闘罪はそういったイメージとは少し異なります。
明治40年に決闘罪で逮捕された人の裁判で、裁判官は次のように決闘の定義を示しました。
当事者ノ人員如何ヲ問ワス兇器ノ対等ナルト否トヲ論セス合意ニ因リ身体生命ヲ傷害スヘキ暴行ヲ以テ相闘フコト
明治40年10月14日大審院第二刑事部宣告 より
つまり、決闘する人数や武器に制限はありません。
1vs1で殴り合っても、刀で斬りあっても、銃を撃ち合っても決闘。本来決闘ではなくなる1(拳銃)vs1(素手)でも100vs1でも、事前に決闘する人がその条件でよいと言えばそれは決闘にあたるのです。
ただし武力を持って果たし合うことが決闘の定義とされているので、決闘だ!と取り決めてひたすら相手の悪口を言うだとか相手に不利なウソの情報を流す、など精神的に相手を痛めつける行為は決闘となりません。
決闘は挑戦した人も受けて立った人も罰を受ける
普通、暴力事件には加害者と被害者がいます。
たとえば突然Aさんに殴られたBさんが殴り返した場合だと、Aさんは傷害罪になりますがBさんは正当防衛となり無罪となります。この場合はAさんが加害者でBさんは被害者です。
仮にAさんに素手で殴られたBさんがナイフでAさんを斬りつけた場合などはBさんには過剰防衛が適用され、無罪ではなく減軽や免除程度になります。この場合はAさんもBさんも加害者となります。
このように、普通の暴力事件には加害者と被害者がいます。しかし決闘罪には被害者が存在しません。
第一条 決闘ヲ挑ミタル者又ハ其挑ニ応シタル者ハ六月以上二年以下ノ重禁錮ニ処シ十円以上百円以下ノ罰金ヲ附加ス
決闘罪ニ関スル件 より
⇒決闘を挑んだ者も受けて立った者も6か月以上2年以下の懲役に処する
このように、法律で決闘罪は申し込んだ人も受けて立った人もひとしく処罰の対象としているからです。
こちらは明治時代にできた法律で、現代の法律に読み替えると意味合いが少し変わります。重禁錮は懲役に、罰金の規定は廃止されましたのでなくなりました。
第一条の重要な点は、決闘を挑んだ者も応じた者も処罰することです。
つまり、実際に決闘をしていなくても決闘の約束をしただけで処罰の対象となるのです。
決闘は約束しても罰せられるが実際に行うと罰則が重くなる
お互いに条件を決めて「決闘だ!」と約束するだけでも6か月以上2年以内の懲役に処されます。
第二条 決闘ヲ行ヒタル者ハ二年以上五年以下ノ重禁錮ニ処シ二十円以上二百円以下ノ罰金ヲ附加ス
決闘罪ニ関スル件 より
⇒実際に決闘を行った者は2年以上5年以下の懲役に処する
決闘の約束だけなら最長2年以内の懲役刑ですが、実際に暴力事件を起こすと最長5年となります。
殺されてもいいと承知の上で決闘しても同意殺人ではなく殺人罪になる
通常、人を殺した者は刑法第199条の殺人罪が適用されます。しかし、被害者の承諾や同意がある場合は刑法第202条(自殺関与及び同意殺人)が適用されます。
第202条
人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその食卓を受け若しくはその承諾を得て殺した者は6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。
教唆(きょうさ)はそそのかすこと、幇助(ほうじょ)は手伝うことを言います。
病気で苦しんでいる人に「辛いなら死んで楽になろうよ」と自殺をちらつかせたり、死にたいと思っている人に首を吊れるロープを与えたりすることが条件となります。
もしくは、テレビなどでも時折報道される依頼殺人などです。生きることをやめたい人が殺してくれと願った場合や殺してもいいかと聞いて同意を得られた場合はこの刑法が適用されることになります。
本来、決闘は命を賭けて行うものです。言ってしまえば殺し合いそのもので、決闘が成立した時にはお互いが死を覚悟しているケースがほとんどでした。
そのため、死ぬことに同意がある状態で殺し合いが行われます。条文通りに考えると決闘で人が死んでしまった場合、殺した側には同意殺人が適用されそうなものですが、そうではありません。
決闘罪で相手を殺してしまった時、刑法第199条の殺人罪が適用されます。
刑法第199条は「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」と規定されています。
つまり、決闘で人を殺した場合はたとえ相手の同意があろうとも死刑や無期懲役になる可能性があるのです。
決闘は立会人や場所を提供した人も罰せられる
決闘はお互いの名誉などのために命を賭けて行われるものなので、その記録をとるために立会人がいます。
1vs1で決闘しようと約束していたのに、実は応援がいて10vs1で相手を殺してしまう…などの不正がないように見張る審判的な存在でした。
さらに、決闘はそこら中で適当に行われるわけではありません。町の真ん中で殺し合っていたらすぐに警察がやってくるので、人目につかないところで行われることが多かったのです。
そうなると、誰にも邪魔されない場所が必要となります。その時に決闘のためにここを使ってもいいと場所を提供する人がいました。
決闘の立会人、決闘のために場所を用意した人、そのどちらもが処罰の対象となります。
これも1年以下とはいえ懲役刑です。明治政府がどれだけ決闘や果し合いを世の中からなくしたかったかわかる処遇ですね。
ちなみに場所を提供してくれる人がおらず、勝手に人の敷地内で決闘した場合は決闘した人たちに住居侵入罪(刑法第130条前段)が問われます。これは3年以下の懲役、または10万円以下の罰金刑です。
決闘を拒否した人に罵声を浴びせたら名誉毀損罪
お互いに命を賭けて殺し合う決闘ですが、合意がないと行われません。
多くの決闘が申し込まれる中で、当然それにNOを突きつける人もいます。
そんな人を「臆病者」だとか自分の好き勝手に事実を捻じ曲げて人々に吹聴することを決闘罪では禁じています。
それが名誉毀損罪(めいよきそんざい)です。
人の名誉を守るために制定された法律で、刑法第230条に規定があります。
適用されると3年以下の懲役もしくは禁錮、または50万円以下の罰金刑となります。
決闘を約束したら最長懲役2年以下なので、決闘に応じるよりも拒んだ人を侮辱する方が罪が重くなるのです。これによって政府は決闘を拒んでも不利益にならないように、決闘を抑制しようとしました。
現在における決闘罪は
1889年(明治22年)に制定されてからも、実務上の適用はほとんどなされませんでした。というのも、実際に決闘が行われた場合には決闘罪以上に重い罪を犯す場合が多かったからです。
決闘が行われた結果誰かがケガをした場合は傷害罪となり(刑法第204条~刑法第208条の2)15年以下の懲役または50万円以下の罰金。
決闘の結果死者が出た場合は殺人罪(刑法第199条)となり死刑か無期、もしくは5年以上の懲役。
どちらも決闘罪よりも罰則が重いため、いかに決闘罪に当てはまる場合でも処罰の厳しい罪を適用していたからです。
果し合いの風潮がなくなってくると、決闘罪は改定されることもなく人々に忘れられていきました。
それが変わったのはなんと制定から100年以上経った平成中期のことです。
2008年(平成20年)、ブログで挑戦状を書き込んで決闘した少年グループを逮捕しました。
それ以降、まだ未成年で暴行罪や傷害罪での逮捕が難しい事件を摘発・解決するための方法として、決闘罪はその価値を見直されることになりました。
- 2010年 高2男子が決闘
- 2010年 河川敷で決闘、11人が観戦
- 2011年 15vs15で決闘しようとした中学生たちを立件
- 2014年 LINEで約束、福岡の少年ら決闘約束
- 2019年 武器なしの決闘を約束した16歳少年2名が書類送検
2005年までに決闘罪とされた人は34名。その後もぽつぽつと数を増やしています。平成30年度の刑法犯に関する統計資料などを確認しましたが、決闘罪の件数を明記している資料は見つかりませんでした。
文化や科学の発展に伴い、果たし状の代わりにブログやメール、LINEを使った場合も決闘であると認定されるようになりました。
決闘罪のまとめ
このページのまとめは次のとおりになります。
- 制定は1889年(明治22年)
- 刑法ではなく「決闘に関する件」という法律
- 決闘の約束をしたらどちらも6か月以上2年以下の懲役
- 実際に決闘をしたら2年以上5年以下の懲役
- 決闘をしてケガをさせたら傷害罪
傷害罪…15年以下の懲役または50万円以下の罰金 - 決闘をして死なせてしまったら殺人罪(死刑・無期もしくは5年以上の懲役)
- 決闘の立会人、場所を提供した人は1年以下の懲役
- 決闘を拒んだ人を侮辱したら名誉毀損罪(3年以下の懲役もしくは禁錮、50万円以下の罰金)
- 決闘罪の適用はほとんどなかった(傷害罪・殺人罪が適用されるケースがほとんどだった)
- 2008年(平成20年)以降、少年らのタイマンに適用されるようになってから数が少し増えた
- 2005年時点での決闘罪適用者は34人
- ブログ、メール、LINEを使っての約束でも決闘罪になる
以上となります。
ちなみに、プロレスや格闘技は決闘にはなりません。あくまでスポーツ扱いです。
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