津村紀三子(能楽師)って何者?Wiki風プロフィールまとめ!

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こんにちは!ぽんこ夫人です。

Googleトップページになんか日本っぽい画像があるなぁと思って調べると、津村紀三子さんという方の生誕120年をお祝いしていました。

津村紀三子についての参考画像

ただまったく知らない人だったので、「そもそも津村紀三子さんって誰?」となったので自分なりに調べてみました。

ぜひ最後までチェックしてくださいね。

津村紀三子(能楽師)って何者?

津村紀三子さんとは、女性で初めてシテ方観世流の能楽師になった人です。

といってもこの説明だとなじみのない人にはさっぱり意味が分からないので、順番に説明していきますね。

能楽 ← 1881年(明治14年)に能楽と称された伝統芸能
女性初 ← 能楽界は女人禁制だった
シテ方 ← 能の主役格を専門に演じる人のこと
観世流 ← シテ方にある5つの流派で最大規模の流派

能楽(のうがく)とは重要無形文化財であり、ユネスコ無形文化遺産にも登録されている日本の伝統芸能です。

現在も有名な人でいえば、野村萬斎(のむらまんさい)さんや和泉元彌(いずみもとや)さんなどがいますね。ただ、お二人は能楽師の中でも狂言師なので津村紀三子さんとは別の役です。

シテ方とは能の主役格(=シテ)を演じる人です。物語の主人公を担当する大事な役割です。

能には主役を演じる人(シテ)、その相手(ワキ)などいくつか役割があり、それぞれに流派が分かれています。シテ方には5つの流派がありますが、津村紀三子さんが所属していたのが観世流(かんぜりゅう)です。

観世流は優美かつ繊細な芸風が特徴で、現在でも5つ中で規模が大きく所属する能楽師が最も多い流派です。

津村紀三子さんは7歳頃から能の世界に触れ、1921年(大正10年)には東京と朝鮮を往復して能を教える他、「羽衣」などを演じました。

ただ、当時の能楽界は女人禁制の男子のみの世界でした。そのため師事していた勧世華雪からは破門されてしまいます。それ以降は非公式で活動を続けることになりました。

しかし1939年(昭和14年)、大槻十三門にて正式に能楽界へ復帰します。その後女性で初めて師範の免状受けました。

さらに1948年(昭和23年)、女性の能楽協会への加入が認められたため、能楽協会へ会員登録。正式に能楽師として登録されました。

 

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津村紀三子(能楽師)のWiki風プロフィールまとめ

津村紀三子(つむら きみこ)さんのWiki風プロフィールはこちらです。

本  名 大内しげ(旧姓 津村)
出 身 地  兵庫県明石市
呼  名 津村君子 → 津村紀三子
生年月日 1902年8月16日(明治35年)誕生
没年月日 1974年4月12日(昭和49年)71歳にて没
津村紀三子さんは7歳頃から謡曲を習いはじめ、観世華雪に師事しつつ能を教えたり演じたりしました。しかし1921年当時、能楽界は女人禁制だったため破門されてしまいます。
その後は非公式で東京や京城(現在のソウル)、釜山で活動を続け、1939年(昭和14年)に復帰。女性で初めて師範の免状を受けました。
1948年(昭和23年)になると女性の能楽協会への加入が認められたため、正式に能楽師として登録されました。
1950年(昭和25年)に肺結核にかかりますが、6年かけて治療します。治療中も新作の能を作り続けた他、演能活動を続けてきました。
1974年(昭和49年)に72歳で亡くなりますが、女性初の能楽師となったことや後進の育成、新作の発表など駆け抜けたことから、近代能楽における女性能楽師の先駆者として愛されています。

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まとめ

津村紀三子さんは日本で初の女性の能楽師です。能を演じるだけでなく、新作を作成したり後進の育成などに尽力したことから近代能楽における女性能楽師として高く評価されていました。

2022/8/16にはGoogleトップページに紹介されました!津村紀三子さんは1902年8月16日生まれなので、生誕120年をお祝いした形となります。

能楽は伝統芸能なので格式高く感じますが、現在では野村萬斎さんや和泉元彌さんなど、著名な能楽師の方が能だけでなくバラエティなどにも出演しているため身近に感じることも多くなりましたね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

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