【6人目のTOKIO】城嶋茂が結婚報告をした”明雄さん”ってどんな人だった?

芸能

TOKIOの城島茂さん(48)が24歳年下のタレント・菊池梨沙さん(24)と結婚することを、9月28日の結婚会見の前に三瓶明雄さん(享年84)の墓前に報告していたことが明らかになりました。

長らくDASH村開拓に参加し、6人目のTOKIOとファンの間では有名だった明雄さん。今回の墓前報告でリーダー城島茂さんが公認したこともあり、彼を懐かしむ声が多く上がっています。

このページでは6人目のTOKIOである三瓶明雄さんについて調べてみました。

三瓶明雄さんはただの一般人だった

三瓶明雄(さんぺい・あきお)さんは1929年11月27日に福島県浪江町で生まれました。1945年8月15日、第二次世界大戦が終結した時は15歳だったので、徴兵されることはありませんでした。

当時の福島県浪江町は水はあっても農業用の土地がなく、1950年(20歳)以降浪江町の津島地区(後のDASH村の周辺)に移住。人が住まない地域に家を構え、仲間たちと共にそこで20年という年月をかけて荒地を切り開き、開拓しました。

後にDASH村でTOKIOのメンバーに教えた知識や技術はこの開拓で身に着けたものだそうです。稲作・畑作だけでなく重機を操作できるといった高い能力を持った農業従事者となりました。

その甲斐あって開拓は成功。しかし、日本は米の販売価格を維持するために米の収穫量の上限を定める農業政策をとっており、稲作面積を抑制していました。つまり、作りたくても米を作ることが出来ない状態です。

1985年のバブルから崩壊を超えて、農業は世間から忘れられるようになっていました。

荒地を開拓し、不遇の時代を生き、還暦を過ぎても状況が変わらない現実。三瓶明雄さんはそのまま激動の時代を生き抜いた農家として人生を終えるはずでした。

還暦を超えてから始まった二度目の開拓

三瓶明雄さんが「ザ!鉄腕!DASH!!」に初めてかかわったのは2000年のこと。当時71歳というおじいちゃんでした。

DASH村とは日本地図にDASHの文字を載せることを目的に、新しい村落を作る企画です。月3万円で借りられる土地を条件にメンバーが探して来た候補地から、インターネット視聴者投票によって現在のDASH村が選ばれました。

城島茂さんが探し出したDASH村を人が住める場所にするために、メンバーは農業に詳しい指導者を求めました。そこで、メンバーにJA(農業協同組合)を紹介したのが最初の接触です。

その後農業関連のアドバイザーとして指導を依頼された三瓶明雄さんは、裏方作業員としてメンバーに指導・アドバイスをしていました。

ところが放送された番組を見てみると、”農業指導 三瓶明雄さん”とのテロップ付きで自分が指導している姿が大アップに。びっくりするも仕事を途中で投げ出さない明雄さんは、仕事としてメンバーに技術を教えていきました。
以降、DASH村コーナーでは明雄さんがメインに据えられる場面も多くあり、優しいだけでなく負けん気と茶目っ気のある、しかし仕事には一途で高みを目指し続ける姿がファンにも人気に。6人目のTOKIOと呼ばれて愛されるようになりました。

2011年3月16日、東日本大震災が発生しました。DASH村を含む広範囲の地域が計画的避難地域に指定された結果、三瓶明雄さんは80年暮らした土地を離れることになりました。

しかし、それでは終わりません。

不定期コーナーの出張DASH村にてTOKIOとともに日本各地を飛び回り、DASH村を活性化させるために役立ちそうな知識・技術を学んでいったのです。

被災避難していながら、農地を借りて畑作・土づくりを再開。後に今でも番組に登場する新品種である「男米」を植えました。

その後もDASH村HP内にある「明雄さんのにっぽん農業ノート」という、日本各地の名産やその栽培方法を紹介しつつ、一言コメントを書き記すコーナーを担当。

このコーナーは月一程度で更新されており、2014年6月1日「静岡県・クラウンメロン」の更新を最後にストップ。しかし三瓶明雄さんのコメントは1月19日の「北海道・札幌大球(キャベツ)」が最後になっています。

2014年6月に永眠。今でも6人目として傍にいる

2014年6月6日、福岡県伊達市の病院で息を引き取られました。享年84歳です。死因は急性骨髄性白血病でしたが、これは60歳以上の高齢者に多い病気と言われています。

三瓶明雄さんの死が公表されてから、番組内でも特集が組まれたり、三瓶明雄さんの残した野菜を育てる、度々三瓶明雄さんに指導されたシーンが使われるなど、現在にいたるまで愛され続けています。

2019年9月29日放送では、城島茂さんが「今もそばにいる気がする」と言い、「6人目のTOKIOのメンバーなのかな」としみじみする場面もありました。

浪江町で死ぬという本望は果たせませんでしたが、5人の子供であり弟子であるTOKIOと二度目の開拓を果たしたことは、きっと三瓶明雄さんにとって忘れられない思い出になったのではないでしょうか。

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